なぜ大人になると夢を失うのだろうか

子供の頃、夢はたくさんあった。

野球選手になりたい。
有名人になりたい。

あの頃は、何の疑いもなく未来を信じていた。
努力すれば、なれると思っていた。

夢を持つことは、当たり前のことだった。

それなのに、大人になると夢を聞かれても答えられないことがある。

言葉に詰まる。
何も思い浮かばない。

昔は、あんなにたくさんあったのに。

夢は、どこに消えてしまったのだろうか。

現実を知ったからだろうか。
努力しても報われないことがあると知ったからだろうか。
日々の嫌なことの積み重ねで、自分の気持ちが変わってしまったからだろうか。

気づけば、夢について考えることすらなくなっていた。

代わりに、現実を生きることに精一杯になっていた。

そして、子供を持つと、子供に夢を託す人がいる。

子供の成長を、自分のことのように喜ぶ。
その姿は、とても自然で、尊いものだと思う。

けれど、時々考える。

それは本当に、子供自身の夢なのだろうか。

子供は、子供の人生を生きている。
親の人生を完成させるために存在しているわけではない。

親の期待。
何気なく発した言葉。

その一つひとつが、子供の中に残り続ける。

「あんたが一人で出来たことなんて何一つない」

その言葉は、その場で消えるわけではない。
呪いのように残り続ける。

心の奥に沈み、長い時間をかけて、その人を縛り続ける。

日本には、「家を継ぐ」「長男だから」という考え方がある。

家族を大切にすることは、尊いことだと思う。
支え合うことも、大切なことだと思う。

しかし、それをすべての人に当てはめることはできない。

人は一人ひとり違う。
生まれた環境も、考え方も、歩む道も違う。

それなのに、正解は一つしかないかのように示されることがある。

そこから外れると、間違いのように扱われる。

本来、人は自由なはずなのに。

自由に選び、自由に生きていいはずなのに。

いつの間にか、見えないものに縛られている。

期待。
役割。
過去の言葉。

それらが、少しずつ夢を奪っていく。

夢を失ったのは、弱かったからではないのかもしれない。

ただ、生きてきただけなのだと思う。

それでも、思う。

本当は、誰の人生でもない。

自分の人生だということを。

誰かの期待のためではなく、
誰かの正解のためでもなく、

自分で選んでいいはずだということを。

私はまだ、はっきりとした答えを持っているわけではない。

それでも、考え続けている。

自分は、どう生きたいのかを。

そして正直に言えば、

私も、親を大切にできない一人です。

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