他責思考をやめるために

他責思考について 終わらせるという選択

他人の責任にすると、自分には責任がないと考えることができ、楽になれるし、安心感も生まれます。

楽になれるのは、「責任は自分にない」と思うことで、出来事をいったん完結させ、消化したような気分になれるからです。

また、その安心感は「自分は間違っていなかった」と思いたい気持ちを守ることにもつながります。自分を否定せずに済むため、結果として傷つかずにいられます。

経験

私は、その出来事に賛成していたわけではありませんでしたが、プロジェクトの進行には協力していました。

その結果、自分の想定していなかった事態が起こり、自分にまで被害が及びました。そのとき、強い怒りを感じました。

行き先のない怒りのぶつけ先を他人に向けることで、私は自分を無理に納得させようとしていました。
「自分は悪くない」「間違っていなかった」と思い続けることで、何とか立っていようとしていたのだと思います。

しかし、起きた事実は変わりません。
怒りは消化されることなく、自分の中に吹き溜まりのように溜まっていき、何度も同じことを反芻する状態が続きました。

他人は、自分の思い通りにならないことの方が多く、他人を責めても改善や反省につながらず、多くの場合、問題は解決しません。

それよりも、自分に非があった部分を認め、次に生かすための改善を行った方が、その感情に長く捕らわれずに少しずつ解放されていくと、今は感じています。

事実は変えられませんが、同じことが起きたときの自分の行動は、次から変えることができます。受け取り方や判断の基準も、後から選び直すことができます。

起きてしまったことを「仕方がなかった」と片づけるのは簡単ではありません。それでも、自分の中で何らかの形で消化しようとする努力をした方が、良いと私は思います。

他人のせいにしてきた8年間

私は8年間、想定していなかった問題を他人のせいにすることで、何とか自分を騙しながら生きてきました。

1日も忘れることができず、毎日「あいつのせいで」と同じことを考え、怒りと後悔を繰り返していました。

当時は、自分の気持ちを守ることに必死で、余裕がありませんでした。誰かのせいにしなければ、とてもではありませんが生きていけませんでした。

身体に現れた影響

問題が起きた直後は、悔しさと苦しさのあまり、血圧や心拍数が上がったまま下がらず、うまく息をすることができなくなりました。

病院を受診した際、医師からは「軽いランニング状態ですね」「心臓が強いからついていけています」といった、正直よく分からない説明を受けたことしか覚えていません。

血圧や心拍数は数日で元に戻りましたが、呼吸は3年ほど、うまくできない状態が続きました。横隔膜がうまく動かず、肺が膨らまないような感覚で、大きく息を吸うことができませんでした。

それでも、怒りは消えませんでした。

終わらせるという選択

何度考えても怒りが収まらず、毎日同じことを考え続けている時間を、ある日ふと「無駄な時間だ」と感じました。

そのとき、

他人を責め続ける限り、この感情は終わらない

と思いました。終わらせるためには、誰かを納得させることではありませんでした。
自分にも責任があったと引き取る必要があったのだと、理解しました。

最後に

今、誰かを責めることでしか立っていられない人がいるなら、それも間違いではないと思います。
それは、生きるために必要な選択である場合もあります。

ただ、もしこの苦しさを終わらせたいと思ったときには、
「引き取る」という選択肢もあるということだけは、伝えたいですあ

それは自分を責めることではなく、これから先の自分を守るための、ひとつの方法なのだと思います。

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