平日の金曜日、仕事終わりに同僚と居酒屋で飲んでいたときのことだ。
話題は自然と「明日は何をするか」という流れになった。
それぞれ、
趣味に時間を使う人、
家で動画を見ながらゴロゴロする人、
思い思いの過ごし方を話していた。
その中で、一人だけ少し異質な答えがあった。
「俺は、仕事に行くかな」
締め切りがある仕事が終わっていないのかと思い、そう聞いてみたが、そうではないらしい。
「色々と溜まっているものを処理したい」と言っていた。
起業家でもなく、管理職でもない。
いわゆる“休みの日にまで出勤する必要がある立場”ではない。
「家にいても、特にやることがないから」
その言葉を聞いたとき、なぜか強い違和感を覚えた。
違和感
その人は、決して怠けているわけではない。
むしろ真面目で、仕事もでき、周囲からも一定の信頼を得ている。
それでも、
「人生を捧げるほどのことなのだろうか」
という疑問が頭から離れなかった。
人それぞれ、仕事への向き合い方も、精度も、経験年数も違う。
それは理解しているつもりだ。
ただ、
ゲームや動画を見て楽しむ人がいる一方で、
この人にとっては仕事がその役割を担っているように見えた。
仕事が
・暇つぶし
・居場所
・時間を埋める手段
になっているような感覚。
それが、どこか引っかかった。
仕事は本来、楽しいもののはずなのに
仕事というものは、本来こういう側面を持っているはずだ。
- 人と協調し合う
- 助け合い、認め合う
- 成果に対して報酬や評価が返ってくる
社会的欲求が満たされ、
フィードバックも比較的すぐに得られる。
だからこそ「仕事は楽しい」と感じられる余地がある。
けれど、現実の多くの職場ではどうだろうか。
- 認められている実感が薄い
- 感謝や評価が見えにくい
- 関係性が固定化し、新しい刺激が少ない
そうした環境では、
仕事そのものが唯一の承認源になりやすい。
なぜ「仕事に依存する状態」になるのか
その人の場合、
一定の成果を出し、
周囲にも必要とされ、
「頼られている自分」を実感できているように見えた。
それ自体は、決して悪いことではない。
ただ、
仕事以外に
- 没頭できる趣味
- 安心できる居場所
- 何もしなくていい時間
が少ないと、
仕事が人生の中心に寄りすぎてしまう。
これは個人の性格の問題というより、
社会や組織の構造が自然と生み出してしまう状態なのかもしれない。
誰かに悪気があるわけではなくても、
こうした人は、どこにでも存在しているように思う。
違和感の正体
私が感じた違和感は、
「その人がおかしい」ということではない。
仕事が
生きがい
居場所
暇つぶし
自己価値の証明
そのすべてを一手に引き受けてしまっている状態が、
果たして健全なのだろうか、という問いだった。
仕事は大切だ。
誇りを持つことも、真剣に向き合うことも、悪くない。
ただ、
仕事しか残らない人生になってしまうとしたら、
それは少し、息苦しい。
おわりに
この生き方を否定したいわけではない。
誰かの選択を裁くつもりもない。
ただ、
仕事が本来持っている「楽しさ」や「人とのつながり」が、
なぜ多くの職場で失われてしまうのか。
そして、
なぜ仕事が“人生の代替物”のようになってしまうのか。
そんなことを、金曜日の居酒屋での何気ない会話から考えさせられた。

コメント